圧倒的に変化が足りない
チームの真の問題は明白です。圧倒的に変化が足りていません。これには「自分たちのチームとして」という意識の高さが、その思いの裏腹として、現状維持を助長してしまうという背景があります。
「“自分たちのチーム” としてという意識がある」とは、チームに必要な意思決定を「自分たちの軸」で行えるということです。自分たちのチームらしい判断の基準が明確に、あるいは何となくチームの中に存在する状態です。例えば、それは「自分たちのペースかどうか」「自分たちらしいかどうか」「自分たちが楽しいかどうか」といったものです。いずれも、良いチームが留意する、「らしい軸」と言えます。
そもそも判断とは、ある選択肢を採用し、別の選択肢を落とすということです。ですから、判断軸自体の良しあしではなく、必ず大小のトレードオフが伴うことになります。例の「らしい軸」で言えば、
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「自分たちのペースかどうか」
- →ペースを変えない=いつもより余分なことはやらない
- →チャレンジ機会が減る
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「自分たちらしいかどうか」
- →自分たちらしさの維持 = “昨日の自分たち” の雰囲気の維持
- →判断が変わりにくい
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「自分たちが楽しいかどうか」
- →ストレスになりうることを避ける = 慣れているほうを選ぶ
- →未体験に手が伸びにくい
「チャレンジしない」「判断を変えない」「慣れないものを避ける」と、そのようなスタンスを取っているつもりはないにも関わらず、結果的にはそうなっている。これはチームの意志に反した「構造的なチームの不具合」と言えます。
意志とは別のところで生じる不具合を検出するためには、チームを客観的に「診る」ための仕組みが必要となります。その一つが、チームで定期的に「問い」に向き合うことです。例えば、
「チームが顕著な変化を取り入れたのはいつのことでしょうか?」
この問いの回答に窮してしまう。あるいは、遠い過去まで遡らなければならないとしたら、状況としては赤信号かもしれません。しかし、そんな風に言われたら、別の思いが湧いてくるかもしれません。
「確かに答えられないけど、これまで通りの成果は安定してあげられているんだけど」
そう、ここにも罠があります。これまでのとおりの成果とは、これまでの評価基準に基づくものです。その中身は、売上や利益、そのための各種KPIを指しているかもしれません。それらの評価基準は、これから先に向けても有効なものなのでしょうか。これからも、プロダクトがユーザーに必要とされ続けることを担保するものさしなのでしょうか。