プロダクトマネージャーが日本を救う
今から2年前の2018年5月、書籍執筆者の1人である私、及川は毎年恒例となったGoogleの年次開発者カンファレンスであるGoogle I/Oに参加していた。開発者の祭典とも言われるこのカンファレンスは、Googleの最新技術に真っ先に触れ、世界中の開発者と交流できる機会でもあるので、毎年楽しみにしているのだが、この年は別の楽しみも待っていた。
及川卓也(おいかわ・たくや)
日本では及川氏を知らないプロダクトマネージャーはいないのではないか、という程の知名度であるため、紹介も不要であるかもしれないが、及川氏は外資系企業やスタートアップにてプロダクトマネージャーを務め、日本で最大級のプロダクトマネージャーのカンファレンスである「プロダクトマネージャーカンファレンス」の発起人および理事である。著書の『ソフトウェア・ファースト』はITエンジニア本大賞2020の「ビジネス書部門ベスト10」にも選ばれている。熱い語り口で及川氏が発信する情報にはファンも多く、今回の書籍でもプロダクトマネージャーの全体像やスキルについて熱く語っている。(小城著)
書籍のもう1人の執筆者である曽根原氏と初めて会うことになっていたのだ。カンファレンスの前日にGoogleのお膝元のマウンテンビューのイタリアンレストランで待ち合わせたわれわれは食事をしながら、プロダクトマネジメントについてさまざまなことを話した。
曽根原春樹(そねはら・はるき)
曽根原氏は日本とUSでさまざまな役職を経験した後、シリコンバレーでプロダクトマネージャーとしてB2B、B2C領域で米系大企業・スタートアップの双方で働いた経験を持つ。現在はSmartNews社米国法人にて日本のスタートアップの世界進出をプロダクトマネージャーとしてリード中だ。世界最大級のオンライン学習プラットフォームである「Udemy」にて豊富な経験をまとめあげたプロダクトマネジメント講座を発信しているため、曽根原氏の動画でいろはを学んだプロダクトマネージャーが多くいるだろう。日本はプロダクトマネジメント後進国であるとも言われ、曽根原氏のシリコンバレーでの経験を元にした本書籍の原稿は、執筆者間でも新たな学びが多く大変興味深いものになっている。(小城著)
曽根原氏は在米であるため、オフラインで会うのは初めてだった。とはいえ、お互いにチャットでは会話したことのある間柄だった。Twitterやブログなどで発信していたそれぞれのプロダクトマネジメント観をぶつけあい、あっという間に時間が過ぎた。
「日本には体系的にプロダクトマネジメントについて学べる書籍がない」という話題になり、いつか一緒に書籍執筆でもできればと語ったことを今でも覚えている。
MicrosoftとGoogleという米国のハイテク企業でプロダクトマネージャーとして勤務した経験があった私(及川)はGoogle退職後に、日本企業と接する機会が増える中、日本の低迷を救うにはプロダクトマネージャーが必要ではないかと感じ始めた。
バブル後期に社会人となった私はまさに日本の競争力低下を生き証人のように見てきた。最初は10年と言われていた「失われた」時間も、次には20年となり、そして30年。この時期を自分の社会人人生が重なるという不名誉かつ戦犯のような存在であるわれわれ世代は、その原因を考え、そして打開への道筋をつけるべきではないか。そんなことを考えながら、日本企業を見ていると、「何を作るのか」「なぜ作るのか」ということを考える機能が大きく欠けていることが分かってきた。
戦後の高度成長期、日本が強かったこの時代はまだまだ物が不足していた時代だった。テレビや冷蔵庫、洗濯機といったものが家電の三種の神器とも呼ばれ、所得が右肩上がりで伸びる中、家電の三種の神器を誰もが求めた。エアコンや自家用車が次に続いた。何が必要とされているかが明らかな時代だった。
焼け野原からの復興を目指す日本はフォロワーの立場だった。お手本は海外だった。海外の企業が見つけた「何を作るか」を、日本は海外企業よりも、安く、速く、高い品質で作ることに長けていた。語弊を恐れずに言うならば、日本は世界の工場だったのだ。
しかし、その後世界は豊かになった。日本をはじめとする先進国には物はあふれ、消費動向も「モノ消費」から「コト消費」、つまり所有から利用や体験に価値観が移っている。物があふれる中、Volatility(変動)、Uncertainty(不確実)、Complexity(複雑)、Ambiguity(曖昧)の頭文字を取ったVUCAとも言われる不確かな時代の下で、何が求められているかを知ることは難しい。
MicrosoftやGoogleのように、新しい市場を創造し続けた企業に勤めた経験から、実は求められているものについて誰も確かな解は持っておらず、むしろ、世界観を共有し、その世界観を実現する社会を作ることが現代には必要ではないかとも思っていた。
そのような考えはやがて「プロダクトマネージャーが日本を救う」という大仰な考えに変わった。
ちょうど私がGoogleを辞めた頃、日本でもネット企業を中心にプロダクトマネージャーのコミュニティが東京などで立ち上がりつつあった。そのようなコミュニティで知り合った同じ想いを持つ有志と立ち上げたのが、「プロダクトマネージャーカンファレンス」だ。初年度は400人強の参加者だったこのカンファレンスも昨年には1200人を超えるほどの規模となり、日本においてもプロダクトマネージャーの認知が向上していることを実感する。
このカンファレンスに昨年運営メンバーとして加わっていたのが、書籍の3人目の執筆者の小城氏だ。小城氏には開催間近な時期からの参加にも関わらず、参加者交流企画をいくつも実現してもらった。カンファレンスに参加された方は覚えているかもしれないが、プロダクトマネージャーでもある小城氏は各種交流企画をプロダクトとして捉え、プロダクトマネジメントのスキルをフルに活用し、成功裏に終わらせた。
これからも分かるように、プロダクトマネジメントは狭義のプロダクトだけではなく、さまざまな領域で活用可能だ。だからこそ、今、日本に必要な考えであり、能力だ。
小城久美子(こしろ・くみこ)
IT企業にてエンジニア、スクラムマスター、プロダクトマネージャーとして主に新規事業立ち上げを何度か経験した後、現在は及川氏の元でプロダクトマネジメントの研修事業やコンサルティングをサポートしている。対象読者であるプロダクトマネジメント初学者に一番近い目線で書籍に貢献していくと意気込んでいる。抜群の目配り・気配り能力で執筆プロジェクトにアクセントをもたらしている。スタートアップにはCEOやCTOよりも、実はこの人がいなければ会社が回らないのでは?!という人がいることがあるが、まさにそのような存在だ。(及川・曽根原著)
このプロダクトマネージャーカンファレンスの初年度の実行委員の中での合言葉も「プロダクトマネージャーが日本を救う」だった。日本を救うは大げさかもしれないが、今の時代はまさにプロダクトマネジメントの能力が求められる時代だとは言えよう。