「ドメインへの入り込み」がAIに対する最大の防御壁になる
一方で、AIがどれほど賢くなっても踏み込めない領域がある。それがドメイン知識(特定の業界特有の専門知識や商慣習)だ。
日本の産業を支えるのは、製造業や金融、医療といった非ソフトウェア企業である。これらの領域で真に役立つプロダクトを作るには、技術理解だけでは不十分だ。松本氏が語るには、LayerXでも三井物産などとのジョイントベンチャーを立ち上げる際、証券関連の法規制や金融規制をゼロから勉強し、現場の業務を横で一緒に行ったという。
「このドメインへの入り込みができるエンジニアやプロダクトマネージャーは、日本で非常に重宝されます。現場の泥臭いオペレーションを理解し、どうソフトウェアで効率化できるかを考える。これはAIにはできない、人間の力です」(松本氏)
ワカマツ氏も、米国ビッグテックでの経験から補足する。
「大手企業においてAIを組み込む際、すでに存在するプラットフォームをどう変革するか、あるいは買収した会社のテクノロジーをどう統合するかが問われます。そこで重要なのはAIそのものではなく、プロダクトビジョンをどうチームに伝え、『一緒にやっていこう』と思わせるかというナラティブ(物語)の構築です」(ワカマツ氏)
徒弟制への回帰:責任ある意思決定者をどう育てるか
AIがプログラミングの「初歩的なタスク」を奪ってしまう中で、ジュニア層や次世代のリーダーをどう育てるべきか。この難問に対し、松本氏は「徒弟制(師弟関係)」への回帰という、一見逆説的な提言を行った。
松本氏の考えによれば、これまではスケールのために大量採用して戦力化するモデルだったが、これからは伝統を継承するために「弟子」を育てる義務がある状態にする必要がある。テックリードやマネージャーに対し、後任(自分がいなくなった時に代わりができる人)を1人は育てなければ評価を下げるとルール化するのも、企業経営上、合理的であるという。
この背景には、AI時代に「不要になる職務」と「重要度が増す職務」の明確な選別がある。
- 不要になる職務:意思決定をしない人。責任を取らない人
- 重要度が増す職務:要求を満たしているか、セキュリティは万全かを見極め、最後に「デプロイボタン」を押す責任を負える人
松本氏は非常に印象的な言葉で、人間のリーダーが残る理由を説明した。
「AIは正解を提案してくれますが、その結果に責任は取ってくれません。謝罪会見が必要になったときはAIがスーツを着て代わりに行ってくれることはないのです。責任を取って最後に頭を下げるのは、われわれ人間です」(松本氏)
5年後の自分に、どんな「ラベル」を貼るか
セッションを締めくくるにあたり、両氏は会場のエンジニアとプロダクトマネージャーに向けて、今後のアクション指針を示した。
第一に、AIを「部下」として使い倒すことだ。自分の書くコードの美しさに固執する時代は終わった。AIによって品質が担保されるなら、それを前提に「何を実現するか」のビジョン構築に全力を注ぐべきだ、と松本氏は語る。
第二に、顧客の生の声(一次情報)を自ら取りに行くことである。ネットに落ちている情報はAIも持っている。顧客の隣で、ドメインの深淵にある「本当の課題」を拾い上げる泥臭い活動こそが、リーダーの生存戦略となる。
そして第三に、「責任」を引き受ける勇気を持つことだ。AIがどんなに賢くなっても、リスクを取り、デプロイボタンを押す決断は人間にしかできない。その責任の重さこそが、個人の価値になる。
かつてCTOやCPOに求められた技術スタックの選定や詳細な仕様策定といった業務の多くは、AIという強力な部下によって効率化されていくだろう。しかし、不確実な市場の中で「どのリスクを取り、どの未来へ賭けるか」という意思決定の価値は、かつてないほど高まっている。
「CTOとCPOは、将来なくなるのか?」
その問いへの答えは、「役割としてのラベルは変わるかもしれないが、意志を持ち、責任ある意思決定を下す機能は、より研ぎ澄まされた形で残り続ける」というものだった。技術を単なる道具として使いこなし、顧客の横で「解くべき課題」を見極め、最後にデプロイボタンを押す。それが、AIネイティブ時代のリーダーシップの正体である。
本セッションで繰り返し強調されたのは、技術理解をベースにしたビジネスリーダーシップの重要性だ。プロダクトマネージャーが技術を「分からない」と言い、エンジニアが顧客を「知らない」と言える時代は終わったのである。

