ボトルネックになっていたPM機能を切り出して役割化
――まずはプロダクトマネージャーという役割を設定された理由や経緯についてお聞かせいただけますか。
山本:Chatworkは、2011年3月にクラウド型のビジネスチャットツールをリリースし、直近では29万3000社が利用する業界のパイオニアとして成長してきました。特に2020年はコロナ禍による在宅勤務が増えたこともあり、ビジネスチャットは業界としても追い風が吹いていますが、企業の導入率は12.5%(※Chatwork依頼による第三者機関調べ、n=30,000)程度で、今後ますます拡大する市場であることは間違いないと思われます。
そうした状況もあり、当社では早くからプロダクトマネジメントとプロジェクトマネジメントを分け、社会やニーズの変化に柔軟に対応しながら安定的にプロダクトを開発する組織づくりを目指してきました。プロダクトマネージャーは製品の「WHY・WHAT=なぜ・何をやるか」、つまりはプロダクトのビジョンやロードマップを考える役割を担い、納期や品質、顧客価値などを「PRD(プロダクト要求仕様書)」としてまとめます。それを受け取り、「HOW=どうやって」実現していくかを考え、実行を推進していくのが、プロジェクトマネージャーの役割というわけですね。
実際に開発を開始すると、PMトライアングルと呼ばれる「ビジネス・顧客価値・開発」でバランスをとっていくことが難しくなります。私自身、初代開発者なのですが、事業が大きくなるにつれてプロダクトマネージャーやCTOなどの複数の役割を担うようになると、この3つの間で自己矛盾を起こすようになっていきました。
結果、自分も苦しければ、攻めたロードマップもつくれなくなってしまうという状態に陥ってしまったのです。リードエンジニア、プロダクトマネージャー、事業長を全部やっていたために組織規模が大きくなるとボトルネックになるし、さらにCTOとして経営や組織についての仕事もある。ビジネスが大きくなって、そろそろ組織規模を考えなければというタイミングで、プロダクトマネジメントの機能を切り分けることになりました。
――山本さんの担っている役割から、機能としての切り出しを図ったわけですね。
山本:実は、すぐにこれは失敗するのですが、まずは技術やビジネス、デザインなどの各部門からプロダクトが好きな人を集めて組織横断的なPMチームをつくりました。毎週のように定例会議でワイワイ仕様を話し合い、いろんな案が出てきて盛り上がったのですが、課題の共有をするのにはよくても、稼働的には全く機能しませんでした。
というのも、全員が兼務だったこともあり、部署に戻ると日々の仕事にまい進してしまうんですよね。プロダクトマネージャーの仕事はかなり多く、1人のプロダクトマネージャーで連携できる開発者は5~6人程度というところではないでしょうか。それを認識せずに、片手間でやって失敗したというところですね。半年から1年くらい続けましたが、専任のプロダクトマネージャーを立てる必要性を痛感しました。
しかし、プロダクトマネージャーは当時はシリコンバレーで大変注目されていた役割ではあっても、日本ではまだ認知されておらず、知見も多くはありませんでした。当然ながら経験者の採用も難しい。そこで、以前シリコンバレーの会社で活躍していた石田をプロダクトマネージャーとして育成することにしました。石田はインターンを経ての入社2年目で、まだ若いこともあって開発やデザインについての経験や知見を補う必要はありましたが、学生時代にUIに関する会社を起業した経験もあり、プロダクトについてのビジョンやセンス、そしてプロダクトマネジメントに不可欠なバランス感覚も備えていたので適役だと思ったのです。
強力な権限委譲の宣言とともに「1人でPM」がスタート
――石田さんはプロダクトマネージャーという職種について、どのように捉えられていましたか。
石田:最初にプロダクトマネージャーを知ったのは、学生時代にスタンフォード大学のd.schoolを経験した時でした。その中でUXデザインに興味を持ち、ユーザーテストを行う会社を起業したこともあります。プロダクトを改善していくことや、ユーザー課題の解決法を考えることがもともと好きだったんですね。ただ、プロダクトマネージャーを目指している人はエンジニアリングを学んでいることが多く、当時はエンジニアにおけるキャリアパスなのだと思っていました。
その後会社をたたんで、最後のお客さんだったという縁から米国のChatworkに入社し、ローカライズやビジネス開発など幅広く経験させてもらいました。その頃には、プロダクトマネージャーにエンジニア出身以外の人も多いことも知っており、プロダクトの最初から最後まで責任を持って遂行するという役割に大変魅力を感じていたので、打診があった時には是非にと引き受けたというわけです。
――実際に、第1号のプロダクトマネージャーになってみていかがでしたか。かなりのプレッシャーがあったのではないかと思われます。
石田:ありましたよ(笑)! 忘れもしません、米国から日本に帰ってきて、まず全社員が集まる合宿があったんです。当時で50人くらいだったでしょうか。そこで、山本に「今日から石田くんがプロダクトマネージャーです。プロダクトに関しては僕よりも発言権があります」と紹介されて、いきなりのことに慌てました。エンジニアには自分より社歴が長い人も多く、知識も経験も上回っている。そうした人たちと連携していくのかと思うとすごく緊張しましたね。
山本:まず受け入れる日本側のメンバーに、プロダクトマネージャーがどんな役割なのかを理解してもらうことが必要でした。それまで起業メンバーでCTOであるということで、自然と私の判断に従ってくれていたところがありましたが、米国から来たばかりの若いプロダクトマネージャーがそれに代わるということで戸惑いがあったと思います。そこで、あえて強めに権威付けをする必要があると思ったのです。それで、どーん!と(笑)「石田は製品のCEOである」という表現もしたと思います。
石田:その時は驚きましたが、そんなふうに山本が目に見える形で権限委譲をはっきりと示したことで気持ちが引き締まりましたし、社内にも認識してもらえたと思います。そして、やはり大きな支えになったのは、米国で前社長の山本敏行と、現社長の山本正喜と3人でプロダクトの未来について話をし、ビジョンをしっかりと共有できたことです。その時プロダクトマネージャーとして期待されたのは「明確なロードマップの作成・遂行」であり、それを足がかりとしてプロダクトマネジメントの文化を根付かせる必要性があることを強く認識していました。
山本:プロダクトマネージャーは部門長のようないわゆる「ラインの長」ではないので、おそらく一般的な階層型の組織では、浸透させることは難しいと思います。対立した中にバランサーとして突っ込むにはパワーが必要だし、一定オーソライズする必要もある。時には経営陣とも渡り合わなければならない。役員がしっかりと守らないとプロダクトマネージャーは全く機能しないのではないでしょうか。
石田:その意味でも、山本の継続的なバックアップはありがたかったですね。特に最初の頃は、どうしても山本に確認をとりに行く人がいて、その度に「石田に確認して」って返してくれていたんです。その積み重ねによって、私が意思決定を行い、パフォーマンスを出すという繰り返しがあり、信頼が醸成されていったように思います。誰しも権限委譲は難しいことだと思いますが、プロダクトマネージャーが立ち上がれるかどうかはまさにそこにかかっていると思います。決定権を持たないプロダクトマネージャーは単なる「調整さん」ですから。