(写真提供:株式会社カケハシ)
ソフトウェア開発のコモディティ化と「7つの競争優位性」
生成AIの登場により、コード生成や機能開発のハードルは劇的に下がりつつある。Product People代表取締役であり、本セッションのモデレーターを務めた横道稔氏は、「ソフトウェアを作ること自体はコモディティ化するかもしれないが、食い合いにはならず、いろいろなところで市場が広がっていくと考えています」と述べ、単なるパイの奪い合いではなく、今までソフトウェアが届かなかった未開拓の領域へ市場が拡大していくと展望する。
横道氏は、米国の有力ベンチャーキャピタルであるa16z(アンドリーセン・ホロウィッツ)が発表したブログ記事「Good News: AI Will Eat Application Software」や、企業の競争優位性を定義した書籍『7 Powers』を引き合いに出し、AI時代における「モート(競争優位性)」の変化について、スライドを用いて以下の7つの観点から提起した。
- 乗換コスト(スイッチングコスト):AIによって移行作業が代替され障壁が下がるため、単なるデータロックインなどで顧客を人質に取るような状態は危うくなる。
- ネットワーク効果:ユーザーが増えるほど価値が高まる構造は、データを活用しやすくなるAI時代においてさらに強力になる。
- 規模の経済:ソフトウェア単体では元々強みになりにくいが、コンプライアンス基盤やハードウェア量産などの共通投資において引き続き有効となる場合がある。
- ブランド:無数の選択肢が生まれるAI時代において、意思決定する人間がリスクを回避するため、「強力なブランドへの信頼」がより高まる。
- リソース(競合なきリソース):AIでできることが拡大するほど、獲得や持ち出しが難しい希少なデータや持続的に成果を上げる組織文化などが極めて重要になる。
- プロセスパワー:顧客の業務フローに深く浸透し、顧客とともに進化する活動体系は模倣困難であり、おそらく最強のモートとなる。
- カウンターポジショニング:既存企業が真似をすると自社を毀損してしまう優れた新事業モデルなどは、投資家から特に注目を集めている。
誰もがすばやく機能を作れる時代において、企業はどこに独自の価値を見出すべきなのだろうか。
ブランドへの「愛着」が究極の競争優位性となる
これからのソフトウェアにおいて、特に重要性を増すモートの一つが「ブランド」である。SmartHRの代表取締役CEOである芹澤雅人氏は、世間でChatGPTが爆発的に普及した理由の一端を、人間心理の観点から独自の視点で紐解く。
「あれが流行った理由の一つに、『チャッピー』というあだ名がついたことは結構大きいのではないかと思っています。人間は『ちゃ』とか『ぴ』みたいな発音に親しみを覚えやすいところがあります。『チャッピーに相談したい』などと言うと親しみが湧くのですよね」と芹澤氏は語り、AIであっても親しみやすさがパワーになると指摘する。
「『SmartHRする』なんて言ったことがある人は誰もいないと思うのですが、給与明細を見る時にそう言ってくれると嬉しいですよね。そういうブランドやポジションが取れるとやはり強いなと思います」
LegalOn Technologiesの代表取締役 執行役員・グループ CEOを務める角田望氏も、ブランドの価値について強く同意する。同氏は、一般的な消費財や高級時計を例に挙げ、「単なる時計であれば誰でも作れるかもしれないが、高級時計には特有の歴史やブランドがある」という事実が、価格や価値の決定的な差を生むと解説する。
さらに角田氏は、何もない白紙の紙に作者がアイデアやキャラクターを描くことこそが究極のモートであるとし、「紙とペンだけでそこから価値を生み出すというのは、まさにブランドや愛着。『このサービスが好き』『このプロダクトが好き』という感情的なものなのかもしれませんが、そういったものの重要性は高まってくるのではないかと考えています」と、プロダクトマネージャーが明確なブランドイメージを意識して企画することの重要性を説いた。
機能過多からの脱却:プロダクトに「オピニオン」を宿す
プロダクトが成長し、エンタープライズ企業への導入が進むにつれて、顧客からの要望は際限なく膨れ上がる。キャディの上級執行役員 CPOである白井陽祐氏は、自社におけるプロダクトの要件として「オピニオネイテッド(開発のルールや思想が明確で、強い見解や意見を持っていること)」を重視していると明かす。
「キャディが向き合う製造業では、どう設計するか、どう調達するかという事業活動や業務フローの違い自体が意図的に作られている差別化です。ある意味『こういう風に設計プロセスはあるべきだ』という、プロダクトとして何かしらのオピニオンを持つ。そういうポジションの取り方により捨てるものもあるが、ブランドを保つことはできる」と白井氏は語る。
何でもできるようにするのではなく、「業務プロセスはこうあるべきだ」という明確な思想をプロダクトに宿し、機能を絞り込むことで、ターゲットとなる顧客の選択コストを下げるというアプローチだ。
カケハシの代表取締役CEO・中川貴史氏もこれに強く共感する。同社の調剤薬局向けプロダクト「Musubi(ムスビ)」は、元々「薬局たるものこうあるべし」という強烈な世界観を持っていたが、大手企業への導入が進むにつれて機能がてんこ盛りになり、世界観が崩れてきているという課題を感じていたという。
中川氏は、「生成AI時代になると開発の速度が上がるので、ユーザーの声がたくさん上がってきて『機能を作ろう』『機能で埋めていこう』となりがちで、普通にいくとそうなるだろうなと思います。でも、今の時代は多分真逆で、機能を足していく延長線上ではなく、『削ぎ落とし、世界観を磨け。それが差別化だ』という話をしているのだなと、すごく面白いと思いました」と語る。
一方で、SmartHRの芹澤氏は、機能の「引き算」に対するジレンマも指摘する。「Eメールキラー」としてシンプルさを武器に登場したSlackが、10年の成長の過程で機能過多になっていった歴史を挙げ、「生き残るための戦略として機能を追加していくとあんな感じになるということです」とビジネス上の必然性を語る。
芹澤氏は、歴史的に見ても機能が盛りだくさんなソフトウェアが勝ってきた事実を踏まえ、あえて機能を豊富にした上でAIアシスタントを活用して最適なユースケースへナビゲートするアプローチを提唱する。
「Microsoft Officeのイルカが復活する」というニュースを引き合いに出し、「あのようなアシスタントがいることはすごく良いことだと思います。機能は盛りだくさんだけれどAIのアシスタントがいて、そこに聞けばナビゲートしてくれて個人のユースケースに寄り添えるというのは、良いのかもしれない」と見解を述べた。
