児玉 哲彦(こだま・あきひこ)氏
慶應義塾大学SFCでモバイル/IoTの研究に従事し、2010年に博士号(政策・メディア)取得。その後、ARアプリ「セカイカメラ」を開発していた頓知ドット(現tab)株式会社で、後継となるモバイル地域情報サービス「tab」の設計・開発、フリービット株式会社でモバイルキャリア「フリービットモバイル」(現トーンモバイル)の端末とサービスの開発に従事。2014年、株式会社アトモスデザインを設立し、モバイル/IoTにおけるUX/UI設計、技術設計、VR/ARのコンテンツ開発などを手がけてきた。現在は、外資系大手IT企業で製品マネージャーを務める。著書に「人工知能は私たちを滅ぼすのかー計算機が神になる100年の物語」(ダイヤモンド社)、「IoTは“三河屋さん”である-IoTビジネスの教科書」(マイナビ出版)。
「美意識の追求」から「使われるプロダクト」は生まれない
――COVID-19 Radarは、通常のアプリと比較して、かなり特殊な目的と制約のあるプロダクトであったことがよく分かりました。ただ、同プロジェクトでの取り組みに、あえて一般的な「プロダクトマネジメント」に通じる部分があるとすると、どのあたりだと思われますか。
児玉:プロダクトマネジメントには、多様な側面があるので一概には言えませんが、「製品としてのアプリケーションやサービスを、どのように事業やプロジェクトの目標達成につなげるか」を意識していたという点については、一般的なそれと同じ感覚だったように思います。
プロダクトマネージャー(PM)の役割として「この製品が実現したいビジョンは何か」「このサービスが担う役割は何か」といった、プロダクトに対するハイレベルな理解の部分で、メンバーの目線と意識を合わせるというものがあります。
プロダクト作りがうまくいかない場合によくあるケースとして、「目線」が合っていない状態で、各分野のオーナーが、それぞれが持つ専門性の美意識だけで動いてしまう場合が挙げられると思います。これは、私が仕事上の経験を通じて感じていることでもあるのですが、プロダクト作りにおいて、各領域で専門的な美意識を突き詰める度合いと、その製品が成功してお客さんに受けいれられるかどうかの結果は、ほぼ反比例します。
エンジニアは、はやりのデザインパターンで、美しいコードを書きたいと思いがちですし、デザイナーは見る人を驚かせるようなハイセンスなデザインにしたいと思いがちです。UXデザイナーは「このほうがユーザーのため」「これはユーザー目線じゃない」と、過剰にユーザーを代弁する立場になってしまうことが往々にしてあります。
その思い自体は、悪いことではないのですが、メンバーの一人ひとりが、自分の職務領域の価値軸にこだわりすぎることで、全体のバランスは壊れます。プロダクト作りには、事業の都合、技術の都合、ユーザビリティの都合など、いろいろな制約条件があり、最終的に世に出るプロダクトは「いろんな都合をガマンした結果」でもあるわけです。そのバランスがうまく取れているものが「よいプロダクト」になるのではないかと私は思っています。
プロダクトマネージャーの役割のひとつとして、プロダクト作りを進めるチームの「価値観」や「目指す方向」をそろえるということがよく言われますが、各メンバーも、それに向かって、それぞれが持っている技術や知見を提供するという感覚がないと、プロダクトとしては成功しにくいというのが実感ですね。
PMは役割、領域、すべてを越えていく「無節操さ」がカギ
――チームをそのような状態に持っていくために、具体的にできることは何でしょうか。
児玉:簡単に言ってしまうと「双方向の歩み寄り」であり、より泥臭い言い方をすると「無節操」であることでしょうか。これは、恐らく市谷聡啓さん(ProductZineキュレーター)が言う「越境」に近い概念だと思います。プロダクトマネージャーが意識できることがあるとすれば、プロダクト作りを進めるときに「責任分解をし過ぎない」ことですね。ビジネスとしてのプロダクト作りには、エンジニアリング、デザイン、ビジネス要件など、さまざまな領域が関わってきますが、メンバーが、それぞれに自分の担当範囲だけに関わろうとする現場は、世の中にたくさんあると思います。そうした「責任の細分化」が心の壁を作るんです。
少し根本的な話になるのですが、日本のテックベンチャーでも「本当の意味でエッジな技術をビジネスにしようとしている」ところは、今、非常に少ないですよね。一方で「技術的に可能な枠の中で、どうビジネスをするか」を考えている人ばかりが多い印象です。
例えば、イーロン・マスクの「Tesla」は、電気自動車を作るにあたって、リチウムイオン電池のパワーと容量を、どうやって高めていけるかというチャレンジを同時にしていて、これは、世の中に既にあるものだけではなく、その根本にある「原理原則」にまで踏み込みながら、プロダクトを作りあげようとしているのだと感じます。
これは私自身の経験ですが、「面白い仕事ができた」と感じるときというのは、こうした「原理原則」に近い部分を掘り下げて、新しいことができたときだったのですね。プロダクト作りの中で、こうしたことをやっていくためには、それぞれの領域の担当者が、それぞれ「無節操」に他の領域に踏み込んでいく感覚が必要だと思います。
これも一例ですが、「ネットワークを通じたロボットのリアルタイム制御」を軸に何かをやろうとすると、必ず「レイテンシ」の問題にぶつかります。この問題を突き詰めようとすると、既存のインフラの問題、通信プロトコルの限界、果ては「光の速さ」というような物理法則の話にまで、首を突っ込むことになります。例えばですが、「UXデザイナー」の立場で、このあたりの話に首を突っ込もうとする人って、まずいないですよね。節操がある人は、それをしないです(笑)。
ちょっと話が分かりにくくなりましたが、私が考える「面白い仕事」というのは、「世の中の原理原則に踏み込むようなもの」であり、それを「プロダクト作り」において実践するためには「チームの一人ひとりが、いかに無節操になれるか」が成功のカギを握っているということです。
「無節操」であろうとする意識はチーム全員が持つべきですが、中でもプロダクトマネージャーは、それを最も強力に体現すべき立場と言えます。プロダクトマネージャーは率先して「無節操」であるべきで、最も積極的に「越境」を図るべきです。もちろん、エンジニアやデザイナーといった立場の人たちから「あいつ、何にも分かってないくせに……」と思われるリスクも高いと思います。それでも、無節操にその役割を追求するべきなのですね。もちろん、説得力を持って見解を述べられる程度に、知っておく必要があるのは当然なのですが。
プロダクトマネージャーは、プロダクト作りにおいて「全体最適」に責任を持つ立場です。もし、お金や技術や人のリソースが無限にあれば、プロダクトマネージャーの仕事は非常にラクなものだと思います。しかし、現実には、さまざまな制約条件がある。その中で、ギリギリまで「プロダクトとして高いレベルで成立するポイント」を追求して、妥協すべき部分を妥協できる感覚が必要です。