プロダクトづくりを支える「UXリサーチ」の専門部隊、UXリサーチセンター
プロダクトづくりでは、潜在的、あるいは顕在的なユーザーニーズについての仮説構築と検証を繰り返しながら、その結果を反映するプロセスが重要とされる。このプロセスは、プロダクトが生みだすユーザー体験(UX)を決定づけるものであり、仮説検証の過程では「UXリサーチ」と呼ばれる調査が行われる。UXリサーチの実施にあたっては、アンケートやインタビュー、あるいはログ解析といった手法が用いられるが、調査結果から有用な知見を導き出し、サービスやプロダクトへ適切に反映するためには、調査や分析についての専門的なノウハウが必要になる。
クラウド名刺管理を中心とした、多様なサービスを展開するSansanは、2021年6月に自社サービスのUX向上を目指したリサーチの専門組織「UXリサーチセンター」を発足。同センターは、独立したUXリサーチのエキスパートチームとして調査を行い、その結果をプロダクト開発チームへ提供する。プロダクトチームでは、その知見を、新規事業や新規サービスの立ち上げ、既存サービスの改善に生かしていくという。
今回、SansanでUXリサーチセンターの運営に携わる、執行役員 CPO(Chief Product Officer)の大津裕史(おおつ・ひろふみ)氏、林愛空(はやし・なるひろ)氏に、設立の背景と活動状況、そして今後のビジョンについて話を聞いた。

UXリサーチセンター プログラムマネージャー 林愛空氏(右)
すべてのプロダクトで安定したUXを提供するための専門組織
――「UXリサーチセンター」設立の背景と、そこでの大津さん、林さんそれぞれの役割について紹介をお願いします。
大津:SansanでCPOを務めています、大津です。入社は3年前で、当時は「プロダクト戦略開発室」に所属し、Sansanが開発する全プロダクトのクオリティチェックを含む、中長期的な顧客ニーズを捉えていくための活動をリードしていました。2020年の初夏ごろから、UXリサーチャーの専門組織を社内に置くことを目指し、1年ほどかけて林と一緒に組織づくりを進めてきました。
これまで、UXリサーチは、Sansanの各プロダクトチームが、必要なときに、それぞれの判断で行っていました。しかし、リサーチには、それなりの工数や手間がかかり、チームや担当者の状況によっては、必要な調査が十分にできないケースも散見されていました。
海外企業を見ると、BtoCサービスを展開している企業だけでなく、BtoB企業でも徐々に「UXリサーチ」を専門に行う組織を置くところが増えてきています。Sansanが、旧来のように、局所的、散発的なUXリサーチを続けていると、そのナレッジが社内にうまく蓄積されず、作業効率の面でも、ナレッジ継承の面でも、問題が増えていくことが懸念されました。UXリサーチの専門的なスキルを持つ組織を置き、ナレッジを蓄積しながら継続的に運営していくことが、Sansanが作るすべてのプロダクトで、安定したUXを提供できる環境を作っていく上で必要だと考えました。
林:私は入社5年目になります。以前からAIや機械学習の研究開発に携わっており、Sansanではデータサイエンティストとして仕事をしていました。大津がSansanに加わってからは、CPO室の一員として、プロダクトに関する中長期戦略の立案、実行に関わり、大津と同様に、UXリサーチの専門組織を作る必要性を感じていました。現在は、各プロダクトマネージャーとの調整などを含む、センターの全体的な統括を担当しています。
――日本では「UXリサーチの専門組織」を置く企業自体がまだ少ない中、UXリサーチセンターは、10名規模でスタートしたということで、かなり大規模に感じます。
大津:Sansanが扱っているプロダクト数、抱えているデータ量から考えると、10名規模というのは決して大きくはないですね。実際、設立以前には「もし、社内の依頼案件で手が余るようであれば、自発的にこれをやろう」と決めていたこともあるのですが、現状は依頼案件でほぼフル稼働です。
メンバーとしては、必要なスキルセットごとに、アンケートやインタビューを中心に行うチームと、ログ解析をメインに扱うチームの2つに分けており、人数は前者が7割、後者が3割といった感じです。前者は「定性的」、後者は「定量的」な調査が専門領域になります。
――プロダクト開発のチームから、センターへのリサーチ依頼というのは、具体的にどのように行われるのですか。
林:主なルートは2つです。現在、私が各チームのプロダクトマネージャーと行っている定例ミーティングの中で、彼らの話を聞きながら、リサーチが必要な部分を探って、やり方を決めていくというのがひとつ。もうひとつは、社内で作っているSlackのチャンネルに、チームが必要なタイミングでリサーチの依頼を出すというものです。
ルートを複数設けているのには理由があります。当初は各プロダクトチームから「こういう調査がしたい」のように依頼される形が中心になるだろうと思っていたのですが、実際に話を聞いてみると、想定以上に「UXリサーチをやりたいが、どんな方法があるのか」や「UXリサーチは、どんな問題への解決策を得るために活用できるのか」といった形で問い合わせを受けることが多かったのです。これは、UXリサーチの「目的」と「方法論」とが密接に関連していることも理由なのですが、そうした疑問も解消しながらリサーチを活用してもらえるように、リサーチに落とし込むための課題の捉え方や、技術的な面についても知識を共有しながら、案件を受けています。
UXリサーチで重要なのは「状況の解像度」を上げること
――Sansanでは、プロダクトづくりにおける「UX」および「UXリサーチ」をどう定義していますか。
大津:UXの設計にあたって、私が常々重要だと感じているのは「状況の解像度を上げる」ことです。「ユーザー体験」という概念には、「だれの」「どんな状況での」体験かといった要素が含まれます。
現状「UX」「UXリサーチ」の話をするときには、どちらかというと「ペルソナ」としての「だれ」の部分が重視されがちです。ただ、私としては「だれ」よりも「どんな状況」であるかを詳細に知ることのほうが、より重要だと思っています。
例として「あるスーパーマーケットで火事が起こった」という状況を考えてみます。このスーパーには、老若男女、さまざまなペルソナを持つ人が買い物をしていますが、彼らの行動は、個人の属性よりも「火事」という状況に、より強く影響を受けます。「状況」が強烈であればあるほど、結果としての体験に、個人の属性の違いが与える影響は、それほど大きなものではなくなってしまうのです。
そこで「仮説があり、それは特定の状況で有効かを検証したい」あるいは「ある状況に向けた体験を作るために、状況の詳細を知りたい」といったニーズが生まれます。それを可能にするためには、リサーチを通じて「できる限り状況の解像度を上げる」ことが重要になるのです。