なぜ動けない? 新規事業を阻む「5つの構造的ハードル」
では、具体的にその「見えない重力」の正体とは何なのでしょうか?
普段から多くの企業で新規事業のコンサルティングをさせていただく中で、業界や規模を問わず共通して見られるハードルが5つあると、私は考えています。
ものすごくざっくり言うと、これらは会社が「成熟した大人」だからこそ生まれてしまう、新しい挑戦という「子どもの遊び」との「相性の悪さ」みたいなものです。具体的に一つずつ、見ていきましょう。
ハードル1:既存事業の「巨大な物差し」で測られてしまう
これは、最も頻繁に遭遇する、そして最も手ごわいハードルです。
皆さんの会社には、既存の主力事業がありますよね。それは、年間何十億、何百億円という売上を上げ、高い利益率を誇る、いわば「優等生」です。その優等生を評価するためのKPI(重要業績評価指標)は、売上や利益、市場シェアといった、非常に明確で力強いものです。
一方、あなたの新規事業は、生まれたての赤ちゃんです。まだ顧客が誰になるかさえ、おぼろげ。そんな赤ちゃんに向かって、優等生を測るための「100億円の物差し」を当ててしまったら、どうなるでしょうか。
「この事業の3年後のROI(投資収益率)は?」 「初年度の売上目標は最低でも数億円は欲しいね」 「市場規模が小さいんじゃないか?もっと大きな山を狙うべきだ」
経営会議で飛び交う、正しくも、あまりに手厳しいフィードバックの数々。これは、役員たちが意地悪で言っているわけではありません。彼らは、巨大な船のかじ取りを任された船長として、当然の問いを発しているだけなのです。彼らの物差しでは、あなたのプロジェクトは「誤差」や「ノイズ」にしか見えません。
この「物差し」のズレに気づかないまま議論を続けると、チームはどんどん疲弊していきます。「まだ分かりません」としか答えられない自分たちを責め、やがて自信を失ってしまうのです。まるで、顕微鏡で見るべき微生物を、天体望遠鏡でのぞき込もうとしているようなものです。ピントが合うはずもありません。
ハードル2:「減点主義」という名の、失敗を許容できない文化
大企業は、失敗しないための仕組みが完璧なまでに整っています。何重もの品質チェック、徹底されたコンプライアンス、過去の失敗事例のデータベース化……。これらは、既存事業を守り、顧客からの信頼を維持するためには、絶対に欠かせない素晴らしい企業努力です。
しかし、こと新規事業では、この「完璧さ」が牙をむきます。
新規事業とは、そもそも「壮大な仮説」です。そして、その仮説のほとんどは、間違っています。100回バットを振って、数回当たれば大成功、というのがこの世界のルールです。
ところが、「減点主義」の文化が根付いた組織では、「空振り」は許されません。
「もし、この実験が失敗したら、誰が責任を取るんだ?」 「顧客に迷惑をかけるような不完全なものは、世に出せない」
こんな言葉が、善意から発せられます。その結果、誰もが石橋を叩いて、叩いて、叩きすぎて、渡る前にはもう橋が壊れてしまっている。そんな本末転倒なことが起きます。大胆な挑戦や、ピボットと呼ばれる素早い方向転換をしようにも、「前例がない」「リスクが高い」の一言で凍結されてしまうのです。
これは、社員のキャリアパスとも密接に関係しています。多くの会社では、新規事業を成功させても得られるインセンティブは限定的ですが、一度「失敗」の烙印を押されると、その後の出世に響くかもしれない。この非対称なリスク・リワード構造が、社員から健全なチャレンジ精神を奪っていくのです。
ハードル3:「全員納得」を求める、複雑すぎる意思決定プロセス
いわゆる「ハンコリレー」問題です。
新しいアイデアを形にするために、ちょっとした予算を使いたい、外部のパートナーと組みたい。そんな小さな一歩を踏み出すのにも、課長、部長、事業部長、担当役員、経理、法務……と、長い長い承認の旅が始まります。
この旅の恐ろしいところは、単に時間がかかるだけではない、という点です。
それぞれの承認者は、それぞれの立場から、あなたのアイデアに「改良」を加えてくれようとします。営業部長は「もっと売りやすい機能にすべきだ」と言い、技術部長は「最新の独自技術を使うべきだ」と助言し、法務は「リスクを完全に排除するために、この表現は削ろう」と提案します。
一つひとつは、もっともな意見です。しかし、全員の意見を取り入れて「丸く」なったアイデアは、どうなるでしょうか。
まるで、キレッキレのスパイスで作ろうとした本格カレーが、関係者全員に「辛すぎるのはちょっと……」と水を足され続けた結果、最終的に出来上がったのは、誰の心にも響かない「気の抜けたカレー風味のスープ」だった、というような悲劇が起こるのです。角が取れて、毒にも薬にもならない「安全」な企画。それが、複雑な意思決定プロセスの、もう一つの恐ろしい帰結です。
ハードル4:専門性を極めたがゆえの「部門間サイロ」
「その件は、うちの部署の管轄ではないので」 「技術的なことは、開発に聞いてください」
大きな組織は、効率を最大化するために、専門分野ごとに組織を最適化しています。営業、マーケティング、開発、研究、経理……。それぞれがプロフェッショナル集団であり、自分の領域の仕事を完璧にこなすことで、会社全体がスムーズに回るように設計されています。
この「部分最適」の仕組みは、既存事業の運営には極めて効果的です。しかし、部門を横断して新しい価値を創ろうとする新規事業にとっては、分厚い壁として立ちはだかります。
例えば、こんな光景です。
開発チームが「これはすごい!」と信じる画期的なプロトタイプを、何か月もかけて作り上げる。そして、完成品を初めて営業チームに見せた途端、「いや、こんなに高機能でも、お客様はこの値段じゃ絶対に買いませんよ」と一蹴されます。
開発チームと営業チームが、プロジェクトの初期段階でたった1時間、話をする機会があったなら、この悲劇は防げたかもしれません。しかし、お互いの間にそびえ立つ「サイロ(壁)」が、その簡単なコミュニケーションさえも阻害するのです。
ハードル5:四半期決算に縛られる「短期的な成果」への圧力
あなたのプロジェクトは、会社の未来、5年後、10年後のための投資のはずです。しかし、会社を動かしているリズムは、もっとずっと短い。そう、3か月ごとの「四半期決算」です。
上場企業であれば、株主に対して定期的に業績を報告する義務があります。経営層は、常に「今四半期の数字」という厳しい現実と向き合っています。
そのプレッシャーが、新規事業チームにも降りかかってきます。
「この事業は、いつになったら黒字化するんだ?」 「来期の予算編成のために、来年度の売上計画を精度高く出してくれ」
プロジェクトが始まって半年も経たないうちに、そんなプレッシャーを感じたことはありませんか? まるで、植えたばかりの苗木に向かって「早く実をつけろ!」と毎日揺さぶっているようなものです。
長期的な視点でじっくりと顧客と向き合い、仮説検証を繰り返すべき時期に、短期的な成果を出すことを求められる。その焦りが、チームを間違った判断へと導きます。「とにかく目先の売上を作るために、本質的でない機能を追加しよう」「本当の顧客ではないけれど、買ってくれそうな大企業に製品をカスタマイズしよう」。そうして、プロジェクトは本来のビジョンから少しずつ、しかし確実に、道をそれていってしまうのです。
